今年の目標を一つだけ、と聞かれて
今年の目標を一つだけ挙げるとしたら、何か。
年明けに、そんなふうに聞かれた。
少し考えてから、
去年60本まで積んだブログを「今年中に100本まで持っていきたい」と答えた。
返ってきたのは、こんな一言だった。
「え、それはできる目標やん?」
という一言だった。
なるほど、そう見えるよなと思った。
同時に、自分の中にある手触りとのずれも、少しだけ浮かび上がった。
本業のある生活の中で、週一本ペースを落とさず書き続けること。
ネタを切らさず、文章の濃度もある程度は保って、ときどき収益面の検証も挟みつつ、それでも「更新を途切れさせない」線だけは守りたいこと。
絶対に不可能な目標ではない。
でも、自分にとっては「毎週、自分の火を一度は前に出す」という、そこそこエネルギーの要る約束でもある。
それを細かく説明したところで、相手からすれば
「そうなんだ、頑張ってるんだな」
くらいで止まるのも、たぶん自然なことだ。
このズレは、誰かが悪いから生まれるわけではない。
単純に「経験していない重さは、想像しにくい」という、ごく当たり前の構造だと思う。
経験していない重さは、だいたい「そうなんだ」で止まる
ブログの立ち上げ期のことを、昔はもう少し人に話していた。
夜勤前後のすきまで管理画面をいじりながら、セキュリティやデザインや導線を一つずつ整えていったこと。
パーマリンクやカテゴリ構造をどうするか迷って、何度か方針を変えたこと。
投げ銭やアフィリエイトをどこまで前に出すか、自分の感覚と相談し続けていたこと。
あの時期は、自分の中ではそれなりに濃かった。
でも、言葉にしてみると、会話としてはだいたい
「へえ、自分でそこまでやるんだ」
あたりで収束することが多い。
それは、それでいいと思っている。
ブログを触ったことがなければ、
「最近ブログを始めた」と
「本業をこなしながら全部一人で立ち上げた」の間にある差は、あまりイメージしにくいはずだ。
重さは、基本的に中にいる人にしか分からない。
その当たり前のことを、立ち上げを通して自分でもう一度確認した、という感覚に近い。
だから今は、立ち上げの細かい話を、外に向けて詳しく語る必要は特に感じていない。
自分の中に残っていれば、それで十分だと思っている。
他人に求めるフェーズは、バンド活動で一区切りついた
他人に「もっとこうしてほしい」と求めるフェーズは、バンド活動の中でだいぶ使い切った。
自分にとっては、錬磨することが普通だった。
フレーズを詰めたり、音作りを細かく触ったり、ライブ一本のために同じ曲を何度も繰り返したりすることに、そこまで抵抗がなかった。
一方で、同じバンドの中でも、指標はそれぞれ違っていた。
楽しく音を出せればそれでいい、とか。
生活のメインは仕事や家庭で、その合間にバンドがある、とか。
それぞれの「普通」が違うだけで、どれか一つが正しくて他が間違っているわけではない。
ただ、自分の中の「もう少し良くしたい」という欲が強いほど、
無意識のうちに、その強度を周囲にも期待してしまっていたところはあったと思う。
振り返ると、それは自分の見たい景色に、人を付き合わせようとしていた面もある。
良くしたいという気持ち自体は本物でも、その濃度を他人に求める権利までは、自分にはなかった。
そのことが、自分の中でしっくり落ちてからは、
「自分の基準や濃度は、自分で引き受けるものだ」という感覚が強くなった。
今、ブログでも他のことでも、基本的に人に求めないスタンスでいるのは、その延長線上にある。
知らない領域を軽く見ない、という一つのルール
自分のやっていることが「できそう」と軽く言われたり、工程をすっ飛ばしたかたちで扱われたりする経験を通して、
逆に、自分の知らない領域については簡単に断定しないほうがいいな、と思うようになった。
世の中には、自分が知らない分野で静かに積み上げ続けている人が、たくさんいるはずだ。
小さな店を一人で回している人かもしれないし。
現場の裏側で、見えない調整を続けている人かもしれないし。
ほとんど誰にも見せていない作品を、長い時間をかけて作っている人かもしれない。
外から見ているだけの立場では、その工程の細かさや、そこにかけた時間の厚みまでは、そう簡単には見えない。
だから、自分の知らない世界については
「表から見えているより、裏側はきっと複雑なんだろうな」
と一歩引いておく。
経験していないものを短い言葉で切らないこと。
自分の物差しが届く範囲を、自分で過信しないこと。
それくらいの小さなルールを持っておくと、少し気持ちが落ち着く。
誰かを過剰に持ち上げたいわけでもなくて、
ただ「自分には見えていない部分もある」という前提を残しておきたい、という感覚に近い。
一人に寄りやすい思考パターン、というだけの話
こういう積み重ね方を選ぶと、結果として、一人でいる時間はどうしても増える。
基準を内側に置くこと。
工程の部分を重く見ること。
他人に自分の強度を求めないこと。
知らない領域を軽く断定しないこと。
このあたりを大事にしていくと、
大人数で盛り上がるような場とは、自然と距離が開いていく。
でも、それ自体が目的というわけでもない。
「一人でいたいからそうしている」というよりは、
自分が大事にしたいものを守っていたら、結果としてそうなっていた
というくらいの話だと思っている。
一人でいる時間が増えるのは、副産物であって、本題ではない。
本題は、どんな濃度で、どんなルールで、自分の火を扱っていくかのほうだ。
核心は内側に置いたまま、周辺だけ少し開けておく
今のところ、自分のスタンスは、だいたいこんな感じだ。
核心に近いところは、自分の中に置いたままでいい。
周辺の、共有しやすい部分だけを、少しだけ言葉にして外に出す。
それ以外は、静かに自分のペースで積み上げる。
人とのつながりを全部手放したいわけではない。
浅い層での会話や、ほどよい距離感の関係は、無理のない範囲で続けている。
ただ、自分の濃度や工程の細部までを、すべて外に預ける必要はないな、と思うようになった。
そこまで開くと、お互いに扱いに困る場面も増えるし、自分の側の摩耗も大きい。
経験していないものは軽く見えやすいし、
自分がやっていることも、外から見ればきっとその一つだ。
だからこそ、自分はできるだけ、他人の見えない部分を軽く扱わないようにしておきたい。
そのうえで、自分の火は、自分の基準で淡々と燃やしていく。
一人でいる時間が増えるかどうかは、その結果としてついてくるだけのこと。
大事なのは、どこに基準を置いて、どうやって続けていくかのほうだと思っている。
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