全力で走って、ちゃんと休む──燃え尽き体質と生きていくということ

エッセイ|コラム

全力で走って、ちゃんと休むという生き方の話

僕はずっと、自分のことを「燃え尽き体質」だと思ってきた。

なにかを始めると、一気に火を大きくして走る。
しばらくして振り返ると、もう動けないくらい消耗していて、何もやる気がしなくなる。
若い頃は、そのたびに周りを困らせてきたし、自分でも「またか」と落ち込んできた。

でも四十歳を越えた今、見え方が少し変わってきた。

これは「根性がない」とか「精神が弱い」とか、そういう話じゃない。
単純に、僕の燃え方と、世の中が求めてくるペースが、あまり相性が良くなかっただけなんじゃないか。
最近はそう思っている。


ブログ60本と、「世界線ではまだまだ」の感覚

この八ヶ月、そこそこ大きめの火で生きてきた。

  • ブログの記事が六十数本(うちアフィリエイトが二十本ほど)
  • 合間に音源を公開して、動画もいくつか上げた

夜勤のある仕事を続けながら、よくここまでやったなとは思う。
久しぶりに自分のサイトを眺めてみると、「これはこれで一つの風景だな」と、素直に思えた。

一方で、いわゆる「ブログの世界線」で見れば、六十記事なんてまだまだだ。
何百記事、何千記事を抱えているサイトもあるし、数字がぐんぐん伸びている人もいる。

現実もシンプルで、

  • 最初の数ヶ月は、記事を出せば出すほど少しずつPVが増えた
  • 構成を整えたり、リライトしたりすると、「ちゃんと効いてるな」と手応えもあった

けれど、八ヶ月目あたりから、グラフは横ばいになっていった。
書く技術も、サイトの中身も、自分の中では前より良くなっているはずなのに、外の数字はそれに付き合ってくれない。少しずつ、憤りのようなものも湧いてくる。

「ああ、また燃え尽きの気配が来てるな」と感じたのは、そのあたりだった。


燃え尽きに、そんなにドラマチックな理由はいらないのかもしれない

昔の僕なら、ここでこう考えていたと思う。

「やっぱり自分は続けられない人間なんだ」
「なんで普通の人みたいに安定して走れないんだ」

でも四十歳を越えてからは、少し違う見方もできるようになった。

  • 何かを始めると、つい全力で走ってしまう
  • 途中でペースを落とすのがあまり得意じゃない
  • それでも、周りに合わせて「止まってはいけない」と思い続けてきた

ただそれだけの話かもしれない。

「燃え尽き体質」と言うと、何か特別な欠陥のように聞こえるけれど、
実際は「全力で走りすぎるクセがあって、ブレーキを覚えないまま大人になった人」、くらいのものなのかもしれない。

もし、これを読んでいるあなたにも

  • 何度か本気で頑張っては、急に何もできなくなったことがある
  • 「続けられない自分」を何度も責めてきた

という経験があるなら、それも同じような話かもしれない。


「普通」という当たり前の物語

ここに、もう一つのややこしい要素がある。

それでもやれ。
休まず続けるのが立派だ。
みんな同じようにやっている。

日本で育つと、こういうメッセージを、あまりにも自然な「常識」として浴びることになる。

  • 学校では、毎日同じ時間に通って、同じように授業を受ける
  • 社会に出ると、一日八時間、週五日働くのが標準になる
  • そこから外れると、だいたい「根性がない」「甘えている」のラベルが貼られる

こういった「普通」は、たしかに社会を回すには便利なんだと思う。
大勢の人が同じテンポで動いてくれた方が、会社も組織も管理がしやすいからだ。

でも、それは「みんなにとっての真実」ではない。
ただの「多数派に合わせるための物語」が、いつの間にか「正解」のような顔をしているだけだ。

僕のように、立ち上がりだけやたらと速くて、途中でペースを落とすのが苦手な人間にとって、この物語はなかなかきつい。

「ちゃんとやっているつもりなのに、気はつけばどこかで限界がくる」
「限界がきた頃には、『続けられない自分』というレッテルが増えている」

そういうループを、何度か繰り返してきた。


年齢を重ねて、ようやく見えてきたもの

ただ、年齢を重ねて分かったこともある。

二十代、三十代の頃の僕は、
「燃え尽きる自分」と「普通であれという社会」のあいだで、ただ引き裂かれているだけだった。

  • 疲れているのに無理して走る
  • 限界になって突然止まる
  • 周りにも迷惑をかける
  • 最後に自分を責めて終わる

このパターンに、意味も名前もつけられないまま繰り返していた。

四十が見えてきたあたりから、少しずつ変わってきたのは、

  • 自分を俯瞰できるようになったこと
  • その延長で、社会の構造も俯瞰できるようになったこと

だと思う。

「ああ、これはもう“自分の仕様”なんだな」
「“普通”は正解の顔をしているだけで、自分が全部間違っているわけじゃないんだな」

そうやって、自分と社会を切り分けて見ることが、少しずつできるようになった。

それは、劇的な変化ではない。
でも、「全部自分が悪い」で片付けていた頃と比べると、かなり大きな違いだ。


少しだけ、自分をコントロールできるようになってきた

俯瞰できるようになると、少しだけコントロールも効くようになる。

  • 体力ゲージが赤なのに、根性で走り続ける
  • 「みんなやってるから」と自分を押しつぶす
  • 限界が来てからようやくブレーキを踏む

こういう動き方から、少しずつ離れられるようになってきた。

最近の僕は、こんなふうに考えることが増えた。

  • 全力で走るフェーズはあっていい。むしろ、それが自分の持ち味だ。
  • でも、そのあとに「何もしない期間」を意識的に挟いでもいい。
  • ブログの更新頻度を落としても、生きていく上では困らない。
  • PVや再生回数が伸びなくても、自分の価値がゼロになるわけではない。

二十代の頃なら、「そんな甘えたこと言ってたら終わる」と思っていたかもしれない。
でも、実際に何度も燃え尽きて、何度もやり直して、それでもまだ生きている今の僕から見ると、

「ちゃんと休めるようになった」のは、ひとつの成長なんだと思う。


ある漫画描きに見た、もうひとつの世界線

そんな折に、とある漫画描きの人の存在を知った。

名前はここではぼかすけれど、

  • 自分のサイトで、同じ世界観のシリーズを何年も描き続けている人
  • 「職業名」よりも、「それをやり続けている人」という自称に近いスタンスの人
  • インディーズのような活動を続けながら、今は商業の連載も持っている人

そのサイトを眺めていて、かなり感情が揺れた。

伝説的なヒット作を持つわけではない。
国民的な知名度があるわけでもない。
それでも、長い時間をかけて自分の世界を積み上げてきて、いま目の前でちゃんと「続いている」。

派手さはないけれど、こういう世界線が現実に存在する。

  • 大衆全員に届かなくてもいい
  • でも、自分の世界観に反応してくれる人たちとは、ちゃんとつながっている
  • 作品ごとに短距離走をしながら、世界観そのものは長距離で掘っていく

それは、どこか自分がやりたいことに近い気がした。

孤岳という名前で始めたブログや音楽も、本当はそういうレーンに置きたいのだと思う。
伝説にならなくていい。
ただ、自分の世界観を、長い時間をかけて静かに積んでいきたい。


同じように苦労してきた人へ

もし、これを読んでいるあなたが

  • 全力で頑張った経験が何度もあるのに、そのたびに燃え尽きてきた
  • 「続けられない自分」を、ずっとダメなやつだと思ってきた
  • それでも、何かを作ったり、書いたり、表現したりすることをやめきれない
  • 社会生活のなかでも、何度も立ち止まってきた

そんな人なら、少しだけ伝えたいことがある。

燃え尽きやすさは、必ずしも欠点とは限らない。

立ち上げの火力が高いからこそ、

  • 何かをゼロから形にする力が強かったり
  • 合わない環境から離れる決断ができたり
  • 自分の違和感をごまかさずに済んだり

することもある。

若い頃は、それをうまく扱えなくて、何度も転んで、周りも自分も傷つけてしまうかもしれない。
でも、年齢を重ねていくと、少しずつ俯瞰がきくようになる。

「ああ、これは自分の仕様なんだな」
「じゃあ、この仕様でどうやって生きていくか考えよう」

そう思えるようになったとき、
燃え尽き体質は、ただの呪いではなく、「取り扱い注意の武器」に変わっていく。


これからは、火を少し小さくして続けていく

今の僕は、正直に言えば、ほとんどやる気がしない。
記事を書く気力もあまりないし、新しい動画を作る気も起きない。

それでも、八ヶ月かけて積み上がったブログを見返すと、「やって良かった」と思う。
あのとき確かにそこにいた自分の記録として、ちゃんと残っているからだ。

だからこれからは、少しだけ火のサイズを落として続けるつもりだ。

  • ブログは、月に一本か二本書けたら十分。書かない月があってもいい
  • たまに、よく読まれている記事だけ、軽く手入れする
  • 音楽や動画は、「作りたい」と思ったときだけ、ゆっくり作る

全力で走るフェーズと、きちんと休むフェーズ。
どちらか片方ではなく、その両方を自分で選んでいい。

世間の「普通」や「こうあるべき」に、
自分のペースを合わせられなかったことを、これ以上責めなくていい。
だからといって、全部を諦めて自分を甘やかしきってしまう必要もない。

年齢を重ねて、ようやく自分を俯瞰できるようになってきた今だからこそ、
僕は僕の燃え方で、生きていけばいい。

もし、似たような苦労をしてきた人がいたら、
その人にも、同じように言いたい。

全力で走って、ちゃんと休む。
それもひとつの生き方だと、そろそろ認めてしまってもいいのかもしれない。


すべての記事は無料でお読みいただけます。

このリンクは「支援」のための入り口です。

小さな感謝とともに、静かな旅をつづけています。──孤岳より

※codoc(Stripe社提供)を利用しています。

コメント