こんな人に読んでほしい
この文章は、
いまの生活に大きな不満があるわけじゃないのに、
どこかずっと息苦しさを感じている人に向けて書いている。
「このままでいいはずだ」と自分に言い聞かせながら、
本当は何かを置き去りにしている気がする人。
過去に、不登校やフリーター、
うまく社会に馴染めなかった経験があって、
それを今でもどこかで“失敗”だと思っている人。
あるいは、
親や社会から刷り込まれた「正解」を
まだ手放しきれずにいる人。
これは、
すぐに何かを変えろと言う文章ではない。
ただ、
「苦しかったのは、あなたが弱かったからじゃない」
その可能性だけを、静かに置いておきたい。
はじめに
これは、
「型にはまれなかった過去」を持つ一人の人間が、
時代の反転によって、ようやく自分の足で立てるようになった話だ。
不登校やフリーターが「恥」だと刷り込まれていた時代。
大卒・一流企業・結婚こそが正解だと疑われなかった平成。
そこで生きづらさを抱え、
「自分がダメなんだ」と思わされてきた経験は、
本当に失敗だったのか。
令和という時代に入り、
個を重んじる空気とデジタルの後押しによって、
あの頃の選択が「自由の始まりだった」と気づいた今、
自分自身の言葉で振り返ってみたい。
これは、成功談ではない。
そして、誰かを否定する話でもない。
刷り込みをくぐり抜けた先で、
自分の火を積み上げ直している、
その途中経過の記録だ。
幼少期から青年期にかけて、社会はまだ「型にはまること」が正義だった。
大卒、一流企業、結婚。
それが勝ち組という空気が濃く流れていた。
当時の僕は、その価値観を疑うことができなかった。
というより、疑うという発想自体がなかった。
学校も、家庭も、社会も、同じ方向を向いていたからだ。
「ちゃんとしている」こと。
「普通である」こと。
「周りと同じである」こと。
それらが安全で、賢くて、正しいとされていた。
僕自身もその価値観を信じ、人より優れていると褒められることで安堵していた。
優れていると評価されれば、ここにいていい気がした。
型に入れている、という確認が取れた気がした。
でも、どこかでずっと、薄い違和感があった。
僕はその社会が求める「型」と、相性がよくなかった。
それでも当時は、合わない理由を言語化できなかった。
ただ、しんどかった。
学校は枠に従わせる教育を当たり前としていた。
授業を受ける。
集団で行動する。
空気を読む。
はみ出さない。
迷惑をかけない。
それができる人間が「まとも」で、できない側に立つと一気に扱いが変わった。
不登校やフリーターは“恥”とされ、家庭でも逸脱は「親の顔に泥を塗る」ことだった。
当時、不登校やいじめ、体罰、自殺は社会問題としてニュースをにぎわせていたが、
現場では「問題児」「弱さ」として片づけられることが多かった。
もちろん、当時の大人たちが全員悪かったと言いたいわけではない。
ただ、社会の前提がそうだった。
型に合わせることが正しい。
外れることは危険。
外れた人間は、だらしないか、甘えているか、壊れている。
そんな空気が、あらゆる場所にあった。
親世代は昭和の成功モデルを信じ切っていた。
努力して、学歴を取って、会社に入り、家を建て、家族を守る。
それが生活の骨格だった。
だから子がそこから外れることは、単なる選択ではなく「失敗」と映った。
「あなたのため」
「将来困る」
「普通になりなさい」
そう言われるたびに、僕は自分が欠陥品みたいに感じていった。
そして恐ろしいのは、周囲だけじゃない。
その価値観が、自分の中にも染み込んでいたことだ。
僕もまた、型に入れない自分を見下していた。
社会の視線を、自分で自分に向けていた。
合わない自分
その枠に、どうしても自分を押し込められなかった。
不登校の時期、フリーターの時期。
当時はそれを「自分の弱さ」と受けとめるしかなかった。
社会の側は、理由を聞いてくれない。
「学校に行け」
「働け」
「みんなやっている」
その一点張りだ。
僕は僕で、攻略法がわからなかった。
どうすれば「普通」になれるのか。
どうすれば「まとも」に見えるのか。
どうすれば「怒られない人間」になれるのか。
でも今思えば、そもそも問いが違っていた。
けれど今振り返れば、あれは単に時代が個を許さなかっただけだ。
「攻略できない」のではなく、「攻略する必要がない壁」にぶつかっていただけだった。
僕はサボっていたわけでも、自由を謳歌していたわけでもない。
むしろ逆だ。
自由なんてなかった。
ただ、型の外側に落ちて、息をしていただけだった。
そして、その経験が長いほど、人は自分を責める。
「俺はダメだ」
「どこに行っても続かない」
「親に申し訳ない」
そうやって自分の首を締めていく。
でも、あの時期の僕が本当にやっていたことは、
「自由を選ぼうとしていた」ことだったんだと思う。
言葉にできなかっただけで、身体が拒否していた。
合わない場所に合わせ続けたら壊れる、と。
今になって、それが分かる。
当時の僕は、未来の自分を守ろうとしていた。
時代の反転と後押し
令和になり、終身雇用は崩れ、働き方は多様化した。
リモートワーク、副業、複数の生き方。
会社に依存しない稼ぎ方。
個人が発信し、個人が商品を持ち、個人が評価される流れ。
昔なら「そんなの一部の変わり者だ」と笑われた選択が、
いまは現実的な選択肢として並んでいる。
コロナ禍はその変化を一気に加速させた。
会社に行かなくても仕事が回る。
会わなくても打ち合わせができる。
家にいながら学べる。
家にいながら売れる。
世界が強制的にオンラインへ寄ったことで、
「型」の支配力が一段落ちた。
もちろん困った人も多いし、苦しい時期だった。
でも同時に、僕みたいなタイプには追い風だった。
かつて「失敗」とされた選択は、今では「先取り」だったと分かる。
あの頃、型からはみ出した自分は、ただ未来を先に生きていただけだった。
僕が欲しかったのは、
「サボる自由」じゃない。
「逃げる自由」じゃない。
「自分で選べる自由」だった。
そしてその自由は、時代が進むことでようやく手触りを持ちはじめた。
社会の側が、少しずつ、個を許容するようになった。
僕はそこに、救われた。
気づいた側の幸福
今、令和の空気は肌に馴染んでいる。
個として積み上げる生き方に手応えがある。
たとえば、誰かの正解をなぞるのではなく、
自分の感覚で選び、試し、積み上げていける。
発信でも、働き方でも、生活でも。
自分で設計できる余白がある。
一方で、いまも燻ったままの人、刷り込みを直視できないままの人がいる。
「このままでいいはずだ」と言い聞かせている人。
「不満はあるけど、考えないようにしている」人。
「本当は苦しいのに、苦しくないふりをしている」人。
それは怠けではなく、防衛だと思う。
直視した瞬間に、いろんなものが崩れるからだ。
家族。立場。キャリア。人間関係。
それらを守るために、見ない。
見ないことで生き延びる。
その姿を見るたび、自分が気づけたこと自体が幸福だと思う。
僕は運が良かった。
あるいは、苦しんだ分だけ敏感になれた。
どちらにせよ、気づけた側にいる。
そしてこれは、他人を見下すための話じゃない。
「抜けられる可能性はある」という話だ。
刷り込みはほどける。
型の外は、怖いだけじゃない。
自由は、ちゃんと積み上げられる。
結び
「レールに乗れなかった」ことは、失敗ではなかった。
未来の自由を選び取っていた証だった。
時代が変わった今こそ、過去の自分を肯定し、自分の火を積み上げていく。
誰かの型に収まるためじゃない。
自分の感覚を守るために。
令和は、少なくとも僕にとって、生きやすい。
そしてその生きやすさは、偶然じゃない。
時代が反転し、火を置ける場所が増えたからだ。
僕はそこで、ようやく自分に戻れた。
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