いま、野原ひろしがちょっとしたブームになっている。
真顔で昼飯に全力を注ぐアニメ『野原ひろし 昼メシの流儀』が、ネットでミーム化したのだ。
SNSでは真顔のひろしが次々と拡散されている。
“殺し屋ひろし”“自分をひろしと錯覚している一般人”なんて呼ばれながら、バカにしてるようで、なぜか誰も嫌悪していない。
むしろ「この真面目さ、嫌いじゃない」と言う人が多い。
笑いながら見ているうちに、いつのまにか共感してしまう。
それが、今の“野原ひろし”の立ち位置だ。
「普通の男」が、再評価される時代
野原ひろし。35歳。中堅サラリーマン。
年収550万。住宅ローンあり。
車はカローラ、妻はみさえ、子ども二人。
昔なら“どこにでもいる凡人”だった。
出世もせず、夢も語らず、家庭では尻に敷かれ、
会社では空気を読んで、昼は愛妻弁当(※本編では外食だけど)。
そんな「うだつの上がらない男」が、
まさか2020年代に“時代の象徴”になるなんて、誰が思っただろう。
昭和や平成初期なら、ひろしの生き方は「妥協」だった。
でも今は違う。
ひろしの凡庸さこそ、いまの現実で最も誠実な生き方になった。
戦わない勇気、折り合う知恵
かつては“戦う大人”がカッコよかった。
会社でも、家庭でも、夢でも、
何かを掴むために歯を食いしばる。
でも、気づけばその価値観が人を壊し始めた。
「頑張りすぎた人」が燃え尽きる時代。
勝っても報われない時代。
そんな中で、ひろしは戦わない。
戦わないけど、逃げてもいない。
ただ、自分のペースで淡々と暮らしている。
出世よりも平穏。
理想よりも日常。
カッコよさより、誠実さ。
それを“堂々とやっている”のが、
今の時代において、いちばん難しいことなんだ。
「昼メシの流儀」は、静かな人生哲学
『昼メシの流儀』のひろしは、
ただ昼飯を食う。それだけ。
なのに、なぜか目が離せない。
うどんすきを食う回では、新入社員と鍋をつつきながら、
どこか**“先輩としての顔”**を保とうとしている。
特に熱くもならず、説教もせず、
でも沈黙が続くのも気まずくて、
少しだけ言葉を足す。
その**「間をつくろうとする感じ」**が、妙に人間くさい。
完璧な大人でも、悟った賢者でもない。
ただ、“かっこつけたいけど上手くいかない大人”の姿がそこにある。
昔なら「ださい」と言われただろう。
今なら「わかるわ、それ」と頷く人が増えた。
ちゃんとできてないまま、それでも大人でいようとする姿。
その不器用さこそ、今のリアルや。
粗さの中にある、人間の温度
『昼メシの流儀』のアニメは、正直言ってチープだ。
動かない。演出も古い。
レビューサイトの評価は低い。
でも、それでも残るものがある。
湯気のゆらぎ。
箸の動き。
食べる音の間。
あの“何も起こらない時間”に、妙な中毒性がある。
これが、いまの視聴者には心地いい。
派手さも刺激もない。
けど、「これでええんや」と思える。
完璧じゃないものの中に、人間の匂いがある。
時代が、ひろしに追いついた
野原ひろしはずっと同じだ。
初登場のころから、変わっていない。
出世しない。派手な夢もない。
でも、毎日ちゃんと働いて、家族を支える。
その“普通”を続けることが、どれだけ難しいかを、
僕たちは大人になってようやく知った。
SNSの時代、みんなが「特別」になろうとする。
でも結局、誰もが疲れて、
「普通に生きるって、意外と尊いな」と気づく。
ひろしはそのまま、そこに立っていた。
何も変わらないまま、時代の方がひろしに追いついた。
凡人の逆転
ヒーローはいつも変革者だった。
でもこの時代のヒーローは、何も変えない人なのかもしれない。
戦わずに、腐らずに、
ちゃんと飯を食って、ちゃんと働いて、ちゃんと笑う。
それを貫ける人は、もう凡人じゃない。
それができるだけで、立派な生き方だ。
真顔でうどんをすする中年に、
俺たちは自分の未来を見て笑ってる。
でも本当は、少し羨ましいのかもしれない。
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