空気で進む医療に、誰がブレーキをかけるのか――責任が宙に浮く瞬間、看護師としてどう向き合うか

エッセイ|コラム

■ 「誰も決めないのに、作業だけが進む」

ある日、現場が少しだけ傾いた。
誰も明確に決めていないのに、作業だけが進んでいく。手順にない判断が、当たり前の顔をして通り過ぎる。

治療の意図よりも「やりやすさ」が優先され、目的が入れ替わっていく。
治療のための一本が、いつの間にか“管理のための一本”に変わっていた。

複数の経路で、同じ混注を同時に流そうとする声が上がった瞬間──
胸の中で、はっきりと警報が鳴った。

■ 責任の主語が「空気」になる瞬間

そのとき確かに、責任の主語が「人」から「空気」に替わった。

「誰かが言ったから」
「前もそうしてた気がする」
「たぶん、これでいいんじゃない?」

そんな曖昧な判断が、患者の身体の中で現実になる。
私たちの“なんとなく”が、命のリスクになる。

■ 止めた。安全のために。

私は、止めた。
このまま進めば、量も速度も、効果も副作用も制御できなくなると判断したからだ。

「ここで、いったん立ち止まろう」
そう言って、手を離した。
実施は中止し、確認が取れるまで待機とした。

■ 「責任の押しつけ」は軽く飛ぶ

それでも、その場にいた空気は軽かった。
準備した者に責任を押しつけ、判断をフリーに委ねて、
都合の悪い部分だけをスライドさせる空気。

誰も責めず、誰も決めず、ただ誰かに押しつける。
最後は笑って帰る背中に、寒気がした。
その平穏の仮面の下で、倫理だけが置き去りにされていた

■ 人の問題じゃない。構造の問題だ

怒りは、まだ収まらない。
けれど、あれは「性格が悪い」とか「配慮が足りない」みたいなレベルの話じゃない。

あれは構造の問題だ。
目的がすり替わる瞬間を見逃さないこと。
空気に判断させないこと。
筋を通して“止める”という選択肢を捨てないこと。

たぶん、現場で守れるのは、それだけだ。


■ あなたの現場にも、“空気”で進む医療はないか

自分の手を動かしているのは、本当に「自分の判断」か。
“なんとなく”や、“誰かが言ったから”に流されていないか。

あなたの現場に、空気で進む医療はないか。
立ち止まる目を、まだ持てているか。


※本稿は匿名性確保のため、複数の出来事を再構成し一部に創作要素を含みます。特定の個人・組織・患者を指すものではありません。


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