富士山では「旨い」と思えた一杯
山小屋で飲む酒は、なぜか格別に感じる。
富士山の鳥居荘で飲んだビールは、本当にそうだった。
呼吸も整っていて、疲れは心地よい程度。
夕暮れの空とあわせて、ただただ沁みた。
あのときは「やっぱり山の酒は最高だ」と思った。
雲ノ平では、ただのリスクだった
でも別の山では違った。
雲ノ平山荘で飲んだとき、頭痛が強まり、夜は眠れなくなった。
冷えや疲労、標高の高さ──いくつもの要因が重なっていたのだろう。
「格別」どころか「重荷」になった。
涸沢でも、また同じことが起きた
今回、涸沢ヒュッテで酒を飲んだ。
2泊目に入り、体調はだいぶ戻っていた。
脚の疲労も抜け、食欲も摂れていた。
「山の景色と酒を楽しみたい」と思い、ビールを口にした。
けれど、そのあと頭痛が強まり、食欲も落ち、寝床に倒れこんだ。
せっかく回復しかけていた体が、再び重たくなった。
このときはっきり実感した。
酒そのものが、登山のパフォーマンスを下げていたんだと。
高所で酒が効かなくなる仕組み
標高が上がると、体は酸素を効率よく運ぶために「高所利尿」を起こす。
余分な水分を尿として捨て、血液を濃くしようとする。
そこにアルコールが加われば、さらに水分と塩分が抜ける。
- 脱水が進む → 足の攣り、頭痛、倦怠感
- 酸素摂取効率が落ちる → 高山病のリスク増加
- 睡眠の質が下がる → 翌日の回復が妨げられる
- 筋肉修復が遅れる → 疲労が残りやすい
つまり「ご褒美」のはずの酒が、体を追い込む要素に変わる。
山で飲まないと決めた理由
富士山で平気だったのは、条件が揃っていただけだった。
疲労も少なく、食事も摂れて、余白があった。
だが、雲ノ平や涸沢のように疲れやすい状況では、酒は一気にリスクになる。
登山は余白を失ったときに、静かに牙をむく。
その余白を削るのが酒なら、もう持ち込む意味はない。
代わりに楽しむもの
山では、味噌汁やスープの塩気、朝の珈琲の温かさだけで十分だ。
それが体に素直に沁みる。
そして下山して街に戻ったときに飲む一杯は、安心の上にある。
それは「格別」以上に、美味いと感じる。
結び──パフォーマンスを削らない選択
山で酒をやめることで、失ったものはなかった。
むしろ翌日の脚の軽さや、集中力の冴えが戻ってきた。
酒は悪ではない。
ただ、**登山中に限っては「パフォーマンスを下げる要因」**だった。
だから俺は、今後は山では飲まない。
そのほうが安全で、楽しく、余白を残して登れるからだ。
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