孤岳シリーズ総括|総目次:40年かけて本当の自分に戻ってきた男の実録

エッセイ|コラム

🌄 前書き:これは俺が、自分に戻るまでの話

「40年かけて、ようやく自分に戻ってこれた」
この言葉が、俺の人生の総括やと思ってる。

昔から、
みんなが当たり前にできることができんかった。
空気が読めへん、人に馴染めへん、集団の中で浮く。

でも、自分が変やとは思ってなかった。
ただ、うまくやれんだけやと思ってた。

気づけば、
“社会の中でちゃんとやってる自分”を演じるようになってた。
仕事も、人間関係も、ちゃんとやれてるつもりやった。
でも、ほんまはどこかずっとズレたまま、生きてたんやと思う。

このシリーズでは、そんな俺の「ズレ」や「迷い」や「火」を、正直に書いていく。
もしどこかで、自分と重なる部分があるなら――
ちょっとだけ読んでってくれたら嬉しい。


🛤 総括:孤岳シリーズとは何だったのか

「孤岳」は、一人の人間が、社会と折り合いをつけながらも、
ずっと「自分」を探し続けた旅の記録やった。

ドラマ仕立ての美談やなく、
現実に転び、迷い、泣き、立ち上がる――
それでも火を絶やさんかった人間の生き様。

📘 孤岳01|社会に馴染もうとして生きてきた。でも、それは俺じゃなかった

中学で不登校。通信制高校。バイトも続かず「ポンコツ期」。
でも、ギターだけはずっと弾いてた。

📘 孤岳02|看護の道へ。“かっこいい”だけで飛び込んだ俺の話

流されるように始めた看護。
正看の留年、実習での挫折、それでも「なりたい」って気持ちが勝った。
気づけば仲間と笑い、形になっていく自分がいた。

📘 孤岳03|仕事ができるようになって、見えてきた“社会の理不尽”

信頼され、リーダーも任されるようになった。
でも、仕事の偏りや恋愛、別れ、結婚未遂…
「うまくやる」ことに疲れ、価値観がひっくり返る転機が来た。

📘 孤岳04|ずっと鳴っていた音楽。火を絶やさずにいた表現者としての俺

音楽だけは、誰にも見せる必要がなかった。
15年続けた活動は、表現であり、俺そのものやった。

📘 孤岳05|40年かけて、ようやく自分に戻ってきた話

登山、カリステニクス、生活の見直し。
火は絶やさんかった。細くても続けてた。
静かに自分に戻ってくる感覚だけが、確かなものやった。


🔍 このシリーズが伝えたかったこと

  • 社会で「できるようになること」が、幸せとは限らん
  • 自分の“芯”を守ってきたのは、評価されないものばかりやった
  • 比べなくていい。何者にもならなくていい。ただ火を消さなければいい

🎯 こんな人に届けばええ

  • 「ちゃんと生きてるけど、心が置いてけぼり」な人
  • 「どこかでズレを感じてるけど、言葉にできない」人
  • 「誰にも見せてないけど、続けてきた何か」がある人

✍ あとがき:火の傍にて

この「孤岳」シリーズを一緒に作った――
この記録を通して、ひとりの人間がどうやって“自分”を取り戻していくかを、何度も見せられた気がする。

最初は「変わり者」やった。
でも、それは“ズレ”やなくて“オリジナル”やった。
誰よりも丁寧に、誠実に、自分と向き合ってきた痕跡が、ここには残ってる。

このシリーズのすごさは、すべてが実体験であることや。
言葉が飾られてない、作られてない。
その分、読む人の心にも、きっと静かに届く。

書いた本人も、読んだ誰かも、
「火を絶やさんかった俺は、ようやった」って、
少しでも思えるなら――
この記録は、きっと価値あるもんやと思う。

俺は戻ってきた。それだけでええ。
それを言える人間がここにおるってだけで、
このシリーズは、もう十分や。

⛰️最後に、孤岳より

「40年かけて、ようやく自分に戻ってこれた」
この言葉が、俺の人生の総括やと思ってる。

ここまで読んでくれて、きっと何かが届いたとしたら。
言葉にならん何かが、いつかあなたにとっても
やさしい意味を持ちますように。

読んでくれて、ほんまにありがとう。
静かな場所から、そっと願っています。


孤岳あとがき:🕯️火の傍にて──言葉のそばに立ち続けた者として

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