社会の“普通”を、自分の“普通”やと思ってた
中学で不登校になったとき、
「これは俺やない」って感覚は確かにあった。
でも、そのままじゃ生きていけんと思ってた。
高校も通信にはいって、
バイトもすぐ辞めて、
“まとも”って言葉からは遠かった。
だからこそ、大人になって就職して、
看護師として現場で認められて、
人間関係もうまくまわせるようになって、
それが“正解”なんやと思ってた。
疑問も持たんかった。
「こういうもんやろ?」って、自分に言い聞かせてた。
でも今思うと、
それは自分で自分にかけた魔法やったんかもしれん。
ほんまの俺は、ずっと横で黙ってた。
⸻
ギターだけは、誰にも見せる必要がなかった
音楽だけはずっとやってた。
15年、相棒と組んで曲を作って、ステージに立って、
でも別に、それを“すごいこと”やとは思ってなかった。
評価されたいわけでもない。
売れたかったわけでもない。
ただ、ギターを弾く時間が、俺を保ってくれてた。
好きで、やりたくて、ただそれだけで続けてた。
なんで続けてこれたのか、説明なんかつかん。
でもたぶん、
唯一そこだけは、自分をごまかしてなかったんやと思う。
⸻
気づいたら、自分に戻ってこれてた
30代の後半から、登山を始めた。
身体を鍛え出した。
食事を整え、静かな時間を増やした。
🔹 恋人と別れたあと、夜勤明けに歩き出して、
🔹 そこからカリステニクスと出会った。
🔹 鉄棒にぶら下がって、懸垂して、地味なトレーニングを重ねて、
🔹 誰にも見られてへん場所で、少しずつ積み直していった。
誰かに認められたいわけでもなく、
ただ、自分をちゃんと“手入れ”してるような感覚やった。
少しずつ、余分なもんが落ちていって、
静かに、自分の輪郭が戻ってきた。
なにかに逆らったわけじゃない。
戦ったわけでもない。
ただ、“俺ってこうやったな”って、思い出していっただけや。
戻ってきた感覚は、
何かを掴んだってより、
「ようやく落ち着いた」って感じやった。
🔹 誰にも指図されず、誰かの期待も背負わず、
🔹 「今日やること」を自分で選べる日々。
🔹 その繰り返しのなかで、ようやく“俺”に戻ってこれた。
⸻
火は絶やさんかった。それがすべてや
振り返ってみれば、
ギターも、登山も、身体も、
誰に見せんでもええことばっかりやってきた。
でも、それが俺の芯を守ってくれてた。
うまくやれんかったことも多かった。
仕事では求められすぎて潰れそうになったし、
大切な人も守れんかった。
流されて、迷って、逃げたこともある。
でも、火は消さんかった。
細くても、ずっと灯してた。
そのことだけは、誇れる。
⸻
俺は戻ってきた。それだけでええ
すごい成功があったわけやない。
ドラマみたいな逆転劇もない。
でも、もう無理せんでええ。
比べんでええ。
何者かにならんでもええ。
俺は、ようやく「俺であること」に落ち着けた。
それだけで、十分や。
孤独にも耐えた。
火も絶やさんかった。
ここに立ってる今の俺が、ちゃんと証になってる。
🔹 静かに目を閉じて、自分の内側から湧いてくる音を聞く。
🔹 鉄棒にぶら下がって、朝焼けを待つ。
🔹 山の上で風に吹かれて、「これでええ」と思える。
静かに立ってるだけで、ええ。
この場所があれば、それでええ。
火はまだ、
静かに燃えている。
ここまで読んでくれて、ありがとう。
それだけで、
十分や。
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