
静けさの中へ──土小屋からの始まり
土小屋の登山口は、静けさに包まれていた。
車のドアを閉める音が、森の奥へ吸い込まれる。
周囲にはほとんど人がいなかった。
空は白く、空気は少し湿っていた。
歩き出すとすぐに、道は針葉樹の森に入る。
踏み固められた登山道を淡々と歩く。
足元の石と土のリズム、風で揺れる葉の音。
無言で、ただ山に入っていく。
木の隙間からちらちらと岩の稜線が見えはじめるころ、
「ああ、本当にあの山に登るんやな」と、背筋がわずかに伸びた。

試しの鎖・一の鎖は巻く──そこに立てなかった理由
石鎚山には四つの鎖場がある。
そのうちの試しの鎖、一の鎖は土小屋ルートからだと通らない構成になっている。
実際、取り付きに立つ機会もなかった。
だからこそ、自分が選んだルートでは、
最初に試されるのは“いきなり二の鎖”という現実だった。
二の鎖の取り付きで、世界が変わる

二の鎖は長い。65mを超える。
取り付きに立ったとき、見上げた空の狭さに息をのんだ。
登りはじめてすぐ、手のひらが汗ばみ、足元が不安定になる。
一歩ごとに、三点支持を意識しながら、身体を引き上げていく。
鎖の重さ、岩の角度、腕の疲労。
途中でふと見下ろすと、木々の間に巻き道らしき細い線が見えた。
「あっちを選んでいたら、どうだったんやろな」
そんな思いが、一瞬だけよぎる。
でも、もう進むしかない。
足元の岩が、今の答えだった。
答えを踏みしめながら、上へ。
眼下には深い森、横には切れ落ちた壁。
でも、自分の手と足がまだ“効いている”感覚が頼りだった。

三の鎖は登るというより“よじ登る”

三の鎖は異様に長い。約68m。
そして斜度がきつい。
「壁」というより「天に向かってそそり立つ塔」だった。
取り付く瞬間、「これは登りきるまで気を抜けないやつや」と思った。
足場が浅く、体を斜めに反らせる動きが続く。
腕でぶら下がると、一気に筋力が持っていかれる。
岩のくぼみと鎖の支点、わずかな窪みに足を探す──
まさに、自分の命を預けている感覚。
何度か途中で手を止め、深呼吸した。
振り返ると、真下には人ひとり立てないような岩の斜面が広がっていた。
天狗岳──足元は縁、周囲は空

弥山から見える天狗岳は、近くて遠い。
岩稜が細く、両側は絶壁。
「登る」ではなく「通る」に近い。
風が吹くとバランスが崩れそうになる。
背中にザック、足元に岩、横は空。
痩せた尾根を、静かに、慎重に進んだ。
振り返ると、弥山に立っていた人影が小さく揺れていた。
天狗岳の頂に立ったとき、拍子抜けするような穏やかさがあった。
達成感というより、「ここに立った」という事実だけが、ただあった。
思っていたよりも、怖さはなかった。
それでも、頂に立ったとき、自然と手を合わせるような気持ちになった。
恐れではなく、ただそこに在る静けさに、
わずかでも自分を差し出したくなったのかもしれない。

下ること──それが“本番”だった

同じ鎖を、今度は下りで使う。
登りとは、まるで別の山行になる。
三の鎖。
取り付きに立ったとき、
さっきまで“登っただけの岩”だったものが、
急に「奈落の入り口」に見えた。
足元は、岩壁ではなく空だった。
足を出すたびに、身体が一瞬宙に浮く。
手と足のどちらもが、今この瞬間に正しく動いていなければ、
確実に落ちる。そういう状況。
もちろん、ビレイ(確保)はない。
鎖を握っている手の感覚が、
命と地面のあいだにある唯一の接点。
底が見える──というより、
「見えてしまう」場所もある。
そのたびに、息が浅くなる。
“考える”という行為が間に合わない。
ただ、自分の呼吸と、手と足の捌きだけに意識を収束させる。
集中の極限。
音も、時間も、ほとんど消える。
あの下りは、
転落=確実な死、という現実と並走する時間だった。
二の鎖に着いたとき、安堵はなかった。
今度はそこを「さらに下りなければならない」という事実だけがあった。
三の鎖ほどの高さはないが、
その分、慎重さを削ったら終わるような構造。
手足の置き場にミスがあれば、
滑落のルートがそのまま視界に入る。
これは最後の戦いだった。
だからこそ、
ひとつずつ、確かめて、下りていく。
指先だけが異様に冷静だった。

戻るということ、帰ってこれたということ
尾根道に戻ったとき、光が変わっていた。
森の木々の隙間から、午後の光が斜めに差し込んでいた。
土小屋に戻ったとき、
登山靴の紐をほどきながら、
「静かな登山だったな」と思った。
でも、本当は違う。
背筋が何度も伸びて、手に汗が滲んだ。
下りの鎖場では、
一手ごとに、集中力と決断を突きつけられた。
「ここでやめたい」と思った瞬間も、確かにあった。
それでも、登って、震えて、
また下って、帰ってきた。

最後に
※ 石鎚山は西日本最高峰(標高1982m)、
天狗岳はその先に連なる岩稜の頂。
いずれも信仰の山であり、鎖場を含むルートには危険が伴います。
※なお、鎖場には巻き道も整備されています。
この記録には、登山ルートの詳細や自己の姿はほとんど含めていません。
それは「自分がどうだったか」ではなく、
「山がどう立っていたか」を書きたかったからです。
ここに記した体験はあくまで一例であり、
行動の判断はすべて、各自の責任のもとで。
🧤石鎚山の鎖場で使った [イスカ クールメッシュトレッキンググローブのレビューはこちら]
すべての記事は無料でお読みいただけます。
このリンクは「支援」のための入り口です。
小さな感謝とともに、静かな旅をつづけています。──孤岳より
※codoc(Stripe社提供)を利用しています。


コメント