音楽は、ずっと鳴ってた
社会に馴染もうとしてた。
看護師として信頼されるようになって、
人間関係もうまくまわせるようになって、
ようやく“ちゃんと生きてる感覚”が掴めかけてた。
でも、その裏で、俺はずっと音楽をやってた。
ギターを持ち、音を作り、相棒と歌を重ねてた。
何があっても、音楽だけは手放さなかった。
やめようと思ったことが、一度もない。
音楽は「趣味」やなかった
よく「趣味で音楽やってるんですね」って言われた。
でも、俺にとっては違った。
音楽は、生活の上に乗っかってるもんやない。
俺の中の“生きてる感覚”そのものやった。
それは、誰かに評価されるとか、
金になるとか、そういうもんやなかった。
ただ、鳴らし続けてないと、
俺は“俺であること”が保てんかった。
相棒と組んで15年。
ステージにも立った。
曲も作った。
拍手ももらった。
でも、それ以上に、
音を出すことで「俺がここにおる」って確認してたんやと思う。
看護と音楽、ふたつの自分
不思議なもんで、
仕事では“調和する俺”を演じてた。
ちゃんと動いて、気を配って、笑って、
社会の中にフィットする形を選んでた。
でも、音楽の中では違った。
自分の熱をそのまま出せた。
情けなさも、怒りも、空っぽな夜も、
全部、音に変えて外に出せた。
表現者としての俺と、
社会人としての俺が、
まるで別人格みたいに存在してた。
でもどっちも“俺”やった。
その両方をやってたから、壊れずにすんだ。
それでも、静かに火を絶やさなかった
活動が派手だったわけやない。
爆発的に人気が出たわけでもない。
でも、火は消さなかった。
どれだけ仕事が忙しくても、
どれだけしんどくても、
俺はギターを手放さんかった。
外には見えんかったかもしれんけど、
内側ではずっと燃えてた。
静かに、でも確かに燃えてた。
沈黙を選ぶことも、表現やった
ずっと鳴らしてたけど、
あえて表に出さんかったこともある。
伝えるより、深めるほうを選んだこともある。
ライブをしない時期もあった。
でも、その分、音の中身は濃くなった。
見せびらかすためやなくて、
自分が信じられる音を鳴らすために
沈黙を選んでた時期もあった。
それもまた、“表現者”としての選択やったんやと思う。
火を絶やさんかった、ただそれだけが誇りや
どれだけ社会に巻き込まれても、
どれだけ正しさにすり潰されそうになっても、
俺は音楽をやめんかった。
それは、ただの意地やない。
俺という人間の、“最後の火”やったんやと思う。
評価されんでもええ。
売れんでもええ。
ただ、鳴らし続けることが、生きることやった。
それをずっと続けてこれたこと。
それが、俺の誇りや。
◇ 次の記事:📘 孤岳05|40年かけて、ようやく自分に戻ってきた話
遠回りしてきた。
迷って、傷ついて、それでも歩いてきた。
ようやく、“俺”に戻れた気がする。
誰かの期待じゃなく、自分の声に耳をすませながら。
これは、そんな俺の、静かな着地の話。
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